私は担当や自担って言葉があまり好きじゃなくて。担当を作る意味が分からなかったからです。Twitterで流れてくる「繋がりタグ」というもの。有名なもので言えば同担拒否。でも最近多いなあと思うのが、〝自担に一途な人〟。どうしてもそれが苦手でしょうがなくて。逆に私は一途な人ほど苦手意識を持ってしまう。自担ばかり語ってないで、みんなのことちゃんと見てよって思ってしまう。
でも最近気付いたのは、「自担を語る」人のおかげで私は全員を知れてるってこと。JUMPは9人という大所帯で、自分は1人しかいなくて目は2つしかなくて。1人で9人を知り尽くすのには限界があるってこと。
○○担って人は自担が大好きで、特にたくさん見てて、たぶん自担の知識がダントツで多い。その人が心に残ったエピソードや、知ってもらいたい過去、素敵なところ、大好きなところ…… たくさん語ってくれるから私もその人のことを深く知ることができた。
「担当」が存在する意味ってそれなのかもなって思いました。
やっぱり、担当とか自担ってなんか好きになれないんだけど、友達とかに散々言われてたり、テレビ上でしかイメージできてない人に、こういう人なんだよ、こういう短所があって、でもここが素敵で好きなんだって伝えたいし、好きになってもらいたい。
そろそろ伊野尾担だと認めてしまおうか、
でもなんだかそれはとても勇気のいることで。
大袈裟かもしれないけど、伊野尾担と宣言した時点で自分の中の世界が大きく変わる気がする。
まだ好きにはなれないけど、担当ってちょっと素敵かもって思った最近でした。
ピーチガールまであと2日!
どきどき。