きらりと、儚く

忘れないよずっと

君にもらったたくさんの想いを綴る

伊野尾慧くん、

30歳のお誕生日おめでとうございます。

 

 

今日は精一杯の愛を込めて。

 

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何から話せばいいだろうか。あなたに言いたいことがたくさんある。だから私はいつも思ったときに、心のなかで話しかけたりする。もちろん返事はないけどそれでいい。

私はあまりパワフルなオタクではないし、全肯定できるほどの心の広さもない。そして、私は、私が思うかわいい伊野尾担でもない。日常が忙しくて、JUMPを見る暇がない、精神的に窮屈でJUMPを見たいと思えない日だってある。でも、そんな日々に充実を感じたりする。むしろ、そんな日々を生きている自分で、会いに行きたいと思う。好きになって5年が過ぎ、このブログもほとんど同じ年月が過ぎた。私は、はてなブログに多く存在する素晴らしい語彙力やポエムのような文章を綴れるようになりたくて、このブログを始めたわけじゃない。「今」の自分の気持ちを残したくて始めた。たとえそれが衝動的であっても、誰かを傷つけない程度に、私はその時々の気持ちを残したいと思った。そんなふうに書き始めた記事も280件を超えた。この280件以上の記事は、私がJUMPファンをしていた軌跡で、かけがえのない宝物である。好きや喜びだけではない、時には涙も怒りも無感情も残した。私にとっては忘れられないことで、それをきっかけに抱く感情も変わって、今でも時々なにかが喉に詰まるような感覚がして。でもそんなこともひっくるめて、私は今もなお、いのちゃんとJUMPを応援していてよかったと思う。

似ているところがたくさんある。

似ていないところがたくさんある。

もちろん話したことはないし、顔を知っているのは私の方だけで、いのちゃんにとって私は無数にあるペンライトの光のひとつ。それでも、私は部外者ではなく紛れもなくファンだ。いのちゃんは「ファンは味方」だと言ってくれた。ファンと味方の違いを知りたくて、身近な友達に当てはめてみたりした。そうしたら、なんだか言葉にならないほど嬉しくて、「ファンは味方」って、めちゃくちゃアイドルな回答じゃんって思った。味方って言葉の通り味方で、側に立って支持していいってことで、応援していいってことで、味方ってこころの距離的にファンより近いところに位置している気がする。ファンって、相手が知らなくても自分がファンって思っていれば成り立つもので、でも、味方って、味方って本人が言ってくれることってすごいことじゃない?語彙力が壊滅的で何も伝わらないし、もうすでに味という字にゲシュタルト崩壊を起こしてるけど、それくらいに「味方」という言葉を噛みしめた。それも、かなり最近のこと。何気なく言ったことで、もしかしたらいのちゃんは覚えてないかもしれないけど、何気なく「味方」と言ってくれてたらそれもそれできゅんとしちゃう。

 

 

そういえば、自分でも笑っちゃうんだけど、実はこれ4回目の下書きで。バースデーブログを書くにあたって、特に今年は節目だし2月ごろから書き始めたりと気合いはものすごく入っているんだけど、纏まらないしこれは言葉がきついかな、これはちょっと取り繕いすぎかなとか思ってもう全然完成しなかった(笑)だから、一度リセットして赴くままに書いています。4回分をぎゅぎゅっとここに纏めたからすごく長くなっちゃった。

 

 

 

 

私は一度、2007年に雑誌でいのちゃんに出会いました。Hey!Say!JUMPかあ、へえ〜で終わってしまったのだけど、今でもいのちゃんの写真を覚えているのはもう偶然ではない気がする。それから8年ほど経ってJUMPのファンになりました。JUMPを応援するようになってから、本当に楽しくてこんな世界に連れてきてくれてすっごく感謝してる。さっきも言ったけど、私にとっては忘れられないし今でも笑い話にはできないこともあって、でも人間ってそういう悪いことの方が濃く記憶に残ってしまったりするんだよね。だから、いのちゃんが言った「だって俺、振り返れば、つらかったことより、楽しかったことばっか出てくるから。うれしかったことばっか。」っていう言葉が、どれほどすごいことなのか最近実感してる。思い出す過去が、楽しいや嬉しいのほうが多いこと、無意識にそんな過去を思い出そうとしているだけかもしれないけど、それでも本当にすごいと思った。つらかったことや悲しかったことを小さくさせてくれるくらい、キラキラした思い出が、いのちゃんの中にはたくさん詰まってるんだなあと思った。

「ベースは一応アイドルなんじゃないかなあ」「やめようと思ったことはない」「かけがえのない財産だと思う」そして、「ありがとう 私は幸せ者です」様々な場所に散りばめられた言葉に込められた想いが、ズンと心に響く。ああ、いのちゃんはジャニーズで、いのちゃんはアイドルなんだった。知っているはずなのに、何度も何度もその事実に気付かされる。

 

 

 

 

 

 

先日再放送された、2015年4月25日のらじらー!サタデー初回放送。

少し緊張した2人の声が聞こえて。いのちゃんの声はひとことで言えば、若いな〜!で、声が高くて5年前を実感した。今よりも少し乾いた声ですごく嬉しそうに「全国放送だよ!」って。私の日常にはまだいのちゃんとJUMPはいなくて、らじらーが始まったころ私は全然違う世界線で全然違う景色を見ていたんだと思うと、今が本当に奇跡のように感じてしまう。しばらくいのちゃんの声を聞いていると、2015年から2020年の思い出が走馬灯のように駆け巡っていく気がした。ただ単純に感慨深い気持ちになった。

振り付け(おそらくchau#)で隣になった時に、いのちゃんが光くんの肩をトントンして「ラジオ決まったね!」って言っていたらしくて。きっとここから伊野尾革命の主人公だったいのちゃんは、そうやって初めてのことがあるたびに胸を高鳴らせて、喜んで。それがだんだんきっとプレッシャーも感じるようになって、喜びよりもきっと感じる気持ちが増えて、それがどんな気持ちなのかは上手く表せないけど、今たぶんそれはもう喜びだけではないのだと思う。そうやって、様々な経験と感情が今のいのちゃんを作ったんだろうなって思うと言葉にならない。青くて、すごく嬉しそうに話すいのちゃんが、今、どっしりと構えるいのちゃんをつくったんだと思った。当たり前だけど、繋がってたんだって感じた。このタイミングで24歳のあなたに会えてよかった。

 

 

 

 

こんなメモを衝動的に書いていて、本当にその通りの気持ちだった。ピーチガールが公開される直前、いのみづが明治大学に行き、山本教授のおかげで変わったという話から書いたブログでは、「あなたの芯は最初からそうだった」と書いた。今でもそう思う。 人間の芯ってそこまで急に変われないと思う。マスクをして俯いていたいのちゃんも、今 テレビの中で堂々としているいのちゃんもきっと芯は同じだ。

たまに過去の記事を読み返すと、ずっと前の自分はちゃんと気づいていたのになあと思う。SNSが流行り、Twitterを使うようになって情報を取り入れるのが速くなったのと引き換えに、私は自分で考えることと、自分のペースで応援していくことを失いつつあった。このブログしかやっていなかった頃は、気付かなかった情報も見逃した番組もたくさんあったと思う。でもちゃんと私は、私らしく楽しく応援していた、気がする。今が楽しくないわけではもちろんない。けど、ひとつひとつのことに対しての感情が軽くなってしまっている気はする。だから、らじらーが決まった時の嬉しそうな2人の声を聞いて、ちょっとだけ初心にかえった。

好きになってから今日までは新しいことばかりに出会う日々で、ただただおめでとうと言うことばかりしかできなかったけど、それは本当にすごいことで決して普通のことではないんだよね。当たり前ではない今をもっともっと大切に扱っていきたいなあと思った。

 

 

 

そして、こんな時代になってJUMPが動画を出してくれたりもして、その度にJUMPが好きだ〜〜〜!って溢れてしまうのだけど、動画を見るたびに、いのちゃんってあんまり笑わない人なんだなとも思った。今何考えてるのかな…あっわらった!って、ばかみたいに喜んでにやにやして、わらってるって嬉しくなっちゃう。私も笑わせたいな〜って、遂にそんなことを思い始めてる自分には驚いた(笑)以前、私は面白いことを言ってうけると嬉しくて繰り返しちゃうんだよね〜という話を母親にしたら「芸人だね」と言われたことを思い出しました。芸人なんですかね、私。たぶん笑いのツボは裕翔や髙木くんくらい浅いので、ちょっと2人と協力しあっていのちゃんを笑わせにいきたいな…いのちゃんの感情の起伏が乏しいとか、表情が豊かではないとは思わないけど、あんまり笑わないの燃える。全力で笑かしに行きたい。(どんなポジション)

 

 

 

こんな感じのやつですが、なによりも私は人の目をすごく気にするし、すぐ人のことをうらやましがる。だから、今でも伊野尾担ならここでこういう反応をするべきかななんて、しょうもないことで頭を悩ませて、無理に伊野尾担をやってるときもある。でもいのちゃんに出会って、自分なりの好きをみつけたいと思ったし、自分のペースで、自分らしい言葉で応援していきたいと思った。紛れもなくそれはいのちゃんの影響で、いのちゃんが自分の芯を持っている人だったからだと思う。また私はそれをうらやましいと思ってしまったのだけど、私もそうなりたい、とも思えた。

 

私はいのちゃんのことがわからない。

こういう人だからこういうことを考えてるのかな、なんて予想すらつかなくて、だから誤解したまま受け取ってしまうことも多々ある。自分の考えが正しいと思い込む癖のある私に、世の中にはたくさんの人がいて、その人たちの感情はそれぞれ違うこと、たくさんの考えがあるからおもしろいと教えてくれたのはいのちゃんだよ。

挫けそうなときも大丈夫。私は伊野尾担なのだから、きっと伊野尾担らしくしぶとく強く生きられる。いのちゃんがくれた伊野尾担というひとつの自信。

 

 

 

 

ひとつも落とさず、何も見逃さずファンをしていくことは苦痛と紙一重で、割とそういうふうに応援してしまっている今、確かに私は気持ちよくJUMPのファンをしていられてない。だから、いのちゃんのくれるペースがゆっくりであることが心地いいし、それが癒しにもなる。

 

 

 

スポットライトが当たらない時期も、伊野尾革命を経て知名度が上がった時期も、それぞれの瞬間でつらいこときついことが沢山あったと思う。

それでもこちらには何も感じさせない姿で、目の前で笑っていてくれてありがとう。

影で努力をして、さらっとこなしているように見せてしまうところは本当にかっこいい。

 

 

いのちゃんの言った言葉をそのままお返しします。

 

 

たくさんの初めての気持ちに出会わせてくれて、

〝ありがとう〟

私は幸せものです。

 

 

 

 

好きも苦手もひっくるめて、私はいのちゃんの味方でいたいなと思っています。

いのちゃんが笑っていると嬉しいし

叶うはずもないし叶わなくていいけれど

もしも会えるのなら、

素敵な花束をもっていのちゃんを笑わせたいな

 

私の好きってたぶんそんな感じ。

 

 

 

 

 

適当かよ〜って呆れたり、若干引いたりすることもあるんだけど、10000字インタビューで山田くんが言ってくれていたように、いのちゃんは「芯の通った、本当にあたたかい人」で。JUMPが大好きで、ファンを大切にしてくれて、常識があって、努力家で、大切にしているものがあって、ちゃんと自分を持っている人。

伝わりにくいところも、恥ずかしくてへらへらしちゃうところもあるけど、常に周りを見て求められているものに応えているところを見ると、底力を感じるというか、今手にしたものは全ていのちゃん自身が掴んで離さなかったものなんだろうなって実感します。

 

ファンにも自分の人生があって、それを大切にしてほしいと思ってくれて、素敵な人になってくださいと言ってくれる人。

何か楽しみになればとレシピを載せてくれたり、副音声を提案してくれたり、冷静で塩対応なのかと思いきやそうやって急に優しくなって、あたたかい気持ちにさせてくれる人。

 

好きも苦手も様々な感情を抱いても、私が今日ここに綴った言葉は全て本物で、こんなにたくさん気持ちに出会わせてくれたのだから、いのちゃんはこのままで、自分らしくいてほしい。今のいのちゃんを好きな人がたっくさんいます。フィルターをかけすぎないようにしたい。いのちゃんはそれに染まろうとする人ではないと思うけど、生きづらくさせたくはない。こんなにも遠い人を身近に感じて、嬉しいことばかりではない沢山の想いをもらっていることは本当にすごいことだと思っていて、そんな気持ちをこれからもずっと大切にしていきたいと思っています。

 

 

きっとこれから自分の中に湧き上がる、喜びだけではない感情をしっかりと受け止めながら、これから起こる様々ないのちゃんの幸せを喜べるように私も成長していきたい。

 

 

 

改めて、いのちゃん30歳のお誕生日おめでとう。

素敵な20代を見せてくれてありがとう。

夢みたいな報告をたくさんたくさんありがとう。

 

30代の伊野尾慧に幸あれ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、いのちゃんが大好きだ。

 

 

 

 

 

むににの日。

おしまい。

 

 

 

 

2020.6.22