きらりと、儚く

忘れないよずっと

あなたよりも大きな愛は

何かお祝いの動画を作ろうかなと思いました。

でも作れるほど映像や写真を持っているわけではなくて、作れるほど知っているわけでもなくて。だから、今日はここにつらつらと気持ちを綴っていこうと思います。

 

嵐と出会って何年経ったでしょうか。

12年くらいかな、よく分かりません。

私が生まれた時にはすでに5人は嵐として活動していて、私がはたちになる前に、今日 嵐は記念すべき20周年を迎えました。

 

嵐を好きになったのはいつの日だったでしょうか。

気付けば好きになっていて、気付けば大好きになっていて、気付けば嵐というグループが無くてはならないものになっていました。

家族の影響ではなく初めて能動的に、自分から好きになったのは櫻井くんでした。

その時は20代後半くらいだったのかな、櫻井くんが世界で一番かっこいい人だと 小学生の私は感じていたよ。

 

毎年、嵐のアルバムを借りて、CDにダビングして車の中で流して、旅行に行くたびに後部座席で兄と熱唱していたのを今でもよく覚えています。

嵐のドラマがやれば欠かさず見て、ひみつの嵐ちゃんは毎週録画して、そのうち嵐にしやがれが始まり初回からしばらくはリアタイしていました。

歌番組に嵐が出れば、リビングから「嵐だよー」と家族の声が聞こえて、急いで階段を駆け下りて行きました。

小学生の頃の応援団ではすべての年、嵐の曲でダンスすることができてとても幸せでした。

 

母に「コンサートは行かなくていいの?」と何度か聞かれたことがあったけど、私は頑なに「いい。そういうのじゃない。」と答えていました。今なら即答で行きたいと答えるのに。でも当時は本当に、会いたいという気持ちは無かったんです。不思議なほどに。

芸能人を好きになったことがなくて、追いかける、ファンになることが何なのかを知らなくて、そういう気持ちにさせてくれる人に出会ったことも、コンサートに行ったこともなかったからなんだと思います。私は嵐が好き、嵐の曲が大好き。その事実だけで十分幸せでした。

小学生の頃から中学生の途中まではこんな感じ。

 

中学生も後半になって、部活や勉強で忙しくなってきた頃から見ることは減りました。嵐にしやがれも初期のバージョンが一番好きで、コーナーや雰囲気がチェンジして行くに連れて見なくなってしまいました。

そして、しばらくして新たに好きなグループができました。今までとは違う感情で、緊張して恥ずかしくて、好きだと母に打ち明けることさえ出来ないほどでした。

それが、Hey! Say! JUMPです。

 

JUMPを好きになってからは、歌番組に嵐が出ていても何とも思わなくなっていました。どんどんどんどん嵐にかける時間は少なくなってきていました。

そんな時、出会ったのが同じクラスの嵐ファンでした。その子とは仲が良くて、今でも連絡を取り合っています。その子と嵐の話をするようになって、小学生の頃の気持ちを思い出し始めました。JUMPを応援して、嵐を応援していた頃は当たり前のように感じていたことが、全然当たり前では無かったことを知りました。まだまだトップアイドルには遠いグループを好きになって、嵐の偉大さを痛感しました。やっぱり嵐はとんでもなくかっこいいなって。

 

友達と嵐の話をするようになってアルバムを毎年貸してくれて、24時間テレビで嵐とJUMPの絡みを見ることができて、Mステでも一緒になることがたまにあったりして。テレビや映画で、大好きなグループの共演を見られることがすごく嬉しくて楽しかったです。

そして、だんだんと「嵐のコンサートに行きたい」という想いが募っていきました。しかし、やはり2グループのファンクラブに入るというのは即決できるものではなくて、なかなか踏ん切りはつきませんでした。そんな時、友達が「大学生になったら一緒に嵐のコンサートに行こう」と。すごくすごく嬉しかったです。何年後か分からない、大学生の間に当たらないかもしれない、けど、いつかきっと会えるんだってそう思ったら嬉しくて嬉しくて。

 

しかし、受験真っ只中の1月後半。

「嵐、活動休止」の発表。

訳が分かりませんでした。

 

どんな人にも明日が来る確率は同じ。どんなに人気があったって、どんなに売れないグループだって明日が来る確率は同じ。頭の中では分かっていたけど、嵐に終わりはないと思ってた。頭の中が嵐でいっぱいになりました。正直勉強どころではなかったけど、私のからだはちゃんと受験生になれていたようで、いつもと変わらず勉強を始めました。「ああ、もしかしたらもう一生嵐には会えないのかな」そんな感情が、心を埋め尽くしていきました。

 

6月。私は確かに会いました。

この目で嵐を見ていました。

小さくて夢みたいで実感なんて到底わかなかったけど、私は嵐に会うことができました。JUMPを助手に選んでくれていなかったら会うことはできてなかった。偶然が重なって会うことができました。本当に感謝でいっぱいでした。

ドームの外で、君のうたを聴いたとき泣きそうになりました。なぜだか分からないけど、泣いてしまいそうでした。

 

 

 

「なんとかやってこれた20年」

その言葉がやけにリアルで。踏み外しそうになった瞬間も、間違えたら壊れてしまいそうな瞬間もあったと思います。それでも、20年 “5人” で歩み続けることにこだわってくれてありがとう。なんとかやってこれた20年を最高だと言ってくれてありがとう。

 

櫻井くんが「嵐を宝箱に閉じ込めたい」と言っていたけれど、私の中ではずっと嵐は「思い出」であり「宝物」でした。嵐を思い出すと、心があたたかくなる気がします。それは、私の幼い頃の家族との思い出には嵐がいたからだと思うのです。車の中ではしゃいで、笑ってたあの頃のBGMには必ず嵐の曲が流れていたからだと思います。嵐のおかげで今でも覚えていることがたくさんあります。嵐のおかげで頑張ろうと思えた瞬間がいくつもあります。

私は、嵐が愛するファンの中にはいないかもしれない。嵐が感謝を述べるファンの中にはいないかもしれない。私が「ファン」として嵐を応援していた時間は少ないのかもしれない。私と嵐の道は、ただ近かっただけで交わることはなかったのかもしれない。それでもいいんです。ずっとそうやって見てきたから。それで満足だったんだから。

 

誰よりも「嵐」を愛して大切にしてきたのは、紛れもなく嵐5人です。

5人が誰よりも嵐を好きでいてくれたからこそ歩めた20年だと思っています。

 

櫻井くん、相葉くん、松潤、ニノ、大野くん、この5人が嵐で本当に良かったです。

嵐の曲が私は心の底から大好きです。

 

“夢はでっかく こう描く” ことを教えてくれ、実現させた嵐。おそらく、嵐を超えるジャニーズグループが現れることはないでしょう。

嵐の生きる時代に生まれて、今一緒に生きていられることがすごく幸せです。

 

 

今日この日が嵐へのたくさんの愛と感謝で溢れますように。

その想いが嵐へ届きますように。

これからも5人が笑っていますように。

5人の幸せを心から願っています。

 

 

 

20周年本当におめでとう。

 

お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

さあ、お祝いの言葉も終盤になってまいりました。

 

 

それでは最後に聴いてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嵐で「言葉より大切なもの」。

 

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