きらりと、儚く

忘れないよずっと

推しから学んだ世代間ギャップについて、あれこれ考えた

事の発端は、忘年会で同僚に、ジャニーズって歌上手い…?みたいな会話をされて(全く悪気は無い感じで)、韓国の歌のうまさをすごい言われたけど、正直めちゃくちゃ胸糞悪かったこと。あと、いのちゃんが○○に似てる、って言ってすごい周りに共感を求めたところ。目の前にジャニーズを好きな人が、いのちゃんが好きな人がいるのに、そういうこと平気で言うんだって思った。しかもそれが、よく気を遣ってたくさん助けてもらったことがある人だったから、ショックだった。笑

 

寝て忘れようと思ったけど、ずーっともやもやしていて、今日母親に愚痴ったら思わぬ返しがきて納得してすっきりしてしまったので聞いてほしい(笑)

 

母親の第一声は「今の子って本当に気を遣ってるなって思う。すごいなって思うよ」だった。確かに、個人情報とかに厳しくなって、友達との会話をプライベートなことをどこまで聞いていいかはとても迷うし、“なんでも話せる友達”みたいなのは作りにくい時代だなというのは感じることがある。

ただ、誰かの好きなもの(推し)に関しても、気を遣って話しているというのは完全に無意識だった。誰かの好きな人をその誰かの前で否定するなんてもってのほかだし、誰かの好きな人を部外者が口出ししてはいけないという暗黙の了解みたいなのもある気がする。それは、SNSの時代に生きているからこそ身についた感覚なのか。だから、よくそんなふうに言えるなと思ったけど、同僚は学生の頃に今ほどSNSが発達していないし、文字だけで誰かと交流するということも少なかっただろうから、そこには気が回らなかったのかもしれない。

 

もう一つ、その同僚は若い頃キンキが好きだったということで話題を振ってくれて、私も同じ「好き」で会話をしていたけど、その「好き」は全然違った可能性もあることを知った。

同僚は、CDを全部買っていたしドラマも全部見たと言っていて、おー!と思ったけど、今思えばそれはファンとして当たり前に近い。それ以外にどんな媒体で推し活をしていたのだろう。何年も前から、好きな芸能人や好きなアイドルを追いかけていた人もいると思う。それなのに、推し活という言葉が最近になって現れたのは、「推す」ことを「活動」にできるほど、あらゆる媒体で好きなものを知ることができるようになったからではないだろうか。

同僚は、CDやドラマをコンプリートしたことにファンとしての自信をもち熱く語っていた。テレビや雑誌も見ていたかもしれない。(母親は、SNSは無いけど噂話はあったよと言っていた笑)

 

私(今の時代)は、他に、SNSでファンの呟きを見たり、無断転載が目に入ったり、本人のSNSの呟きや写真を見たり、番組公式の宣伝やレポを見たりしている。確かに、日々情報に溢れている。私は、私の友達を知るのと同じように、好きな人を知っている。SNSは、本当に推しとファンの距離を近くしていた。

「推し活」という言葉は、確かに今の時代においてわかりやすいけれど、正直自分の好きな人(もの)を「推し」と表現することにしっくりきている人はどれほどいるのだろうか。私は全くしっくりこない。分かりやすいから推しと表すけど、私にとっては「好きな人」だ。推しなんて軽い言葉似合わなくて、人として好きな人。それもSNSが発達した時代だからこそ、得られた感覚であることを今日知った。好きな人に向けられた言葉は、自分のことのように傷ついてしまう。

 

SNSがあるから推しが近い距離にいる

SNSがあるから発言に気をつける

今まで以上に人の気持ちを考えている

人にどう思われるか気にしている 無意識に

 

そういう会話が成り立ってた時代

そういう中で生きてきたから普通

 

10個上の同僚は、いつも話すときに自分のことをおじさんだと卑下する。30代なんておじさんじゃないと思った。でも、10年も離れていると時代は違うんだと学んだ。おじさんおじさんっていうけど、本当におじさんなんだなあと思うとちょっと受け流せそうな気がした。

 

私は、ジャニオタであることが恥ずかしいから公言しなかったわけではなくて、好きな人を傷つけられたくなかったから言わなかった。言わないことで、私の気持ちを守っていた。

 

同世代の中で生きてきたから、だんだんガードが緩くなって最近はオタクであることを言えるようになってきていた。だけど社会人になると、当たり前に上の世代と話すことが増えて、同じように接していたけど、逃れられない世代間ギャップがあるんだなと日々感じている。

 

受け流せるようになりたい、けどやっぱり自分の好きなものが、会話を盛り上げる道具になってしまうのは嫌だ。だけど、年齢の異なる人と話す中でそういう扱いになることも仕方ない部分があることも分かった。

 

やっぱり私は、大好きなものを公言したくないかもしれない。自分のために大好きなものを秘密にして、話せそうなものだけを見せていこうかなあなんて、また考えている。