きらりと、儚く

忘れないよずっと

まだ空が明るい

今年ももうすぐ終わる。本当に早かった、って毎年言っているような気がする。

2021年の締めくくり、なんとなく誰かに聞いてほしくて綴ろうとしている。ただ日本のどこかに住んでる誰かさんのはなし。

 

今年の色々を遡ると、いちばん最初に気持ちが動いたのは4月6日だと思う。ただひたすらに悲しくて、空虚で、好きなことに変わりはなかったけど、なんか、何かが終わった。

 

分からないまま日々が過ぎて、私は忙しくなった。今なら離れられそうと何度も思った。離れたいなあ、そろそろ卒業したいなあって

 

夏休みは掛け持ち先で頭がいっぱいになった。完全に気持ちがそっちに行って、「潮時」という感じが色濃くなっていった。

 

夏が終わると、SNSから離れた。これまでは、アカウントを消しては作り直しての繰り返しだったけど、今回は今まででいちばんちゃんと離れられた。慣れてしまえばそれはそれで楽で、4月から消えなかった脱退への執着心も薄れていった。興味が小さくなっていくのは寂しかったけど、気持ちが軽くなっていたのは事実だった。

 

それから初めての実習、体験活動等が続き、その間に溜まった課題をこなし、オンデマンドの授業は容赦なく更新され、日常的に指導案の作成と模擬授業、来年実習へ行くための追加課題、バイト、模試。起きて学校へ行くまでに時間があれば課題、帰って夕飯まで時間があれば課題、食べ終わったら課題、お風呂から出たら課題。月曜日から土曜日まで授業。土曜日は授業のあとにバイト。日曜日は一週間で溜まった分の課題をこなす。やりたい勉強をやる時間がない。録画も見れない。せっかく買ったシングルのMVも、YouTubeも雑誌も見る時間がない。眠い。寝たら明日がきちゃう。私の心は限界で、家へ帰ると安心感か甘えか、親にイライラをぶつける。いっぱいいっぱいになると、予定の時間に家を出ることもなかなかできなくなって、走ってバス停へ向かう途中で涙が溢れてきた日も何度もあった。ふとした時に涙が出た。駅のホームでぼーっと電車を眺めることもあった(それ以上でもそれ以下でもなかったけど)。吐き気がした。叫びたい衝動に駆られることもあった。SNSを見ては楽しそうに遊ぶ友達に否定的な感情を抱いた。妬み、嫉妬、自己嫌悪。人として終わってんなーわたし、と思いながら今日はどういうスケジュールで課題をこなすかを考えた。

 

何年もずっと大好きだった彼らにときめかなくなった。無になりつつあったけど、好きだった。しかし、また新しいニュースが入ってきた。ガイシ公演の例のことである。いわゆる少数派である私は、彼らの考えていることが分からず、正直幻滅した。発表以降、個々で何か説明をしたり言葉をくれることがないことも悲しかった。周りの人間の考えを受け入れられるような心の余白も残っていなくて、もう嫌いになりそう と母に吐露した。言ったあとには後悔して、私はなんてひどい人なんだろうとまた自分のことが嫌になった。乗り越えるためには、ファンの言葉を見ないことだった。自分勝手にもほどがあるけど、ファンと価値観の違いを受け入れ合う余裕なんてなくて、彼らを好きでいるためには、彼らだけを見ることしかなかった。何に拘っているのはもはや分からなかったけど、ただ、まだ好きでいたかった。ファンでいたかった。

 

毎日家へ帰る頃は真っ暗だった。一度、16時半くらいに学校を出られた日があった。まだ空が明るくて、嬉しかった。

 

人として終わってる私のことを褒めてくれる人もいた。一緒に頑張っている仲間もいた。

 

掛け持ち先の自担が、人を80%信じる と言っていた。思い返せば私は、彼らを限りなく100%に近い割合で信じていたように思う。だから、脱退に傷ついた。決断や対応のなさにショックを受けた。けれど、きっと夢や理想を押し付けていた私も悪かったと思う。私が全力で好きだった時間、その理想に応えてくれたことを有り難く思った。20%の優しさを持ちたいと思った。自分の気持ちに、離れる選択肢はまだ無さそうだった。だから、100%を80%にしたいと思った。

 

私はなによりも、彼らの音楽が好きだった。これだけは、どんな時もずっと変わらないことだった。彼らの声が、歌が本当に好き。その次にかおが好き。でも、音楽がなかったら私はとっくにここから離れていると思う。私と彼らを繋いでいるのは紛れもなく音楽で、きっと音楽がある限りそれは変わらない。

 

無理に追わない。リアルタイムで見れなくても仕方ない。ファンの熱量を見て自信を無くさない。

 

年が明けたら加速度的に忙しくなっていくのだろうと思う。正直、今は一生2021年の冬休みでいい。

 

感情に素直になることが、正直でいることが正しいわけではないことを学んだ。上手に生きていくために、誰かと関わって生きていくために、いろんな視点で割り切って捉えて、相手の気持ちに合わせた反応をして、心に留めておく気持ちもあって。そういうのって苦しいけど、大人になるってこういうことなのだろうか。私はまだ随分と子どもだったのかもしれない。駅のバスターミナルに、「人生楽しく生きるには相手をたてるくらいがちょうどいい」みたいなポエムが貼ってあって、それを見るたびになんか心が軽くなる。まあそれでいっか って

 

彼らに対して申し訳ない気持ちも大きい。何事もさらりとこなし、「伝えないこと」もある彼らの裏を想像することができなくてごめんなさい。こんな人でごめんなさい。ここ1ヶ月くらいで何度泣いただろう。だけど、彼らがくれた年月が今の私の糧になっていることは事実だと思う。あの時、あのタイミングで好きになって、全力で追いかけることができて本当に楽しかった。もうあんなに自由な時間はしばらく来ないんだろうなあ。

 

空を見るといのちゃんを思い出すよ

何してるかなあ 元気かなあってさ

ちょっとだけときめく日があるよ

笑顔を見て笑ってしまう日があるよ

 

JUMPに会いたいなあってずっと思っているよ

今日も、幸せでいてね

 

 

今年もありがとう

 

良いお年を。